ふりかえりは、感想ではない

ふりかえりは、感想ではないのか

「今日はうまくいった」「いつもより集中できた」「次は頑張ろう」などの漠然とした感想は、ふりかえりのスタート地点であって、ゴールではありません。

感想とは「自分が感じたことや想ったこと」ですから、ふりかえりにとっては材料集めの段階です。それで終わってしまうのは、材料を集めたものの、料理をしないようなものです。

自分が感じたことを表現することに慣れていない場合、最初のうちは感想を出すだけで精一杯な場合もあります。慣れている方でも、自分が目を向けたくないことに関しては、言葉にすることすら難しい場合もあるでしょう。

感想だけでも意味があるのでは?

私は野菜を調理せずそのまま食べるのが好きです。しかし、それは無農薬で農家さん取れたての特別な野菜の場合です。スーパーに安売りしているような野菜では、味が薄くてついつい調味料を付けてしまいます。またそれだけでも飽きてしまうので、やはり調理することになります。

これは日常の経験でも同じことがいえます。毎日が変化に溢れていて、成長や気付きで溢れているときには、感想を書き留めるだけでも十分価値があります。

でも365日、そんなエキサイティングな日々を送っている人はそうそういません。大きな変化がない時期にも、しっかりと気付きを得て、成長や幸福感に繋げることができるのが、ふりかえりなのです。

感想はダメなのか?

それでは、感想はダメなのでしょうか?

いいえ、感想は必要なものです。目の前の出来事から、自分が感じたことや想ったことは、ふりかえりにとって大切なスタート地点です。しかし、いつまでも「感想を書いて終わり」にしていては、一向にふりかえりの効果を感じることは出来ませんから、そこから先の訓練が必要になります。

なぜその感想を持ったのか?そこからどんなことが考えられるか?など、本格的なふりかえりに入っていくはじめのうちは、なかなかエネルギーが必要で、挫折しがちです。

ふりかえりを適切サポートをしてくれるコーチのような存在が周囲にいれば、継続の可能性は大きく向上しますが、ほとんどの方は自分一人でふりかえりの訓練をするだろうと思います。

感想の次は?

感想とは、主観です。自分の身に起きたり、見聞きした出来事を、自分というフィルターを通してみた、いわば自分の世界です。それは既に自分の中に存在しているものなので、いくら表現しても、新しい変化が起こることはありません。

そこで、次に必要になってくるのが、客観性です。一見難しそうですが、気軽に捉えてください。客観性は、主観の数を増やしていくことで、手に入れられます。いわば感想の積み重ねです、色々な立場に立って感想を考えればよいのです。

今日起きた出来事に対して、自分は「腹が立った」というのがあなたの主観なら、次にはそれを同僚のあの人はどう感じたのだろう?と考えるのが主観の数を横方向に増やすということです。

また、なぜ自分は腹が立ったのだろう?と考えることは、自分の感想に対して、さらに感想を考えることですから、縦方向に主観の数が増えていきます。

このように、主観の数をたくさん増やしていくと、物事を色々な視点で捉えられるようになります。これを客観的であるといいます。

こうなると、最初は気が付かなかった気付きがたくさん生まれているはずです。

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