「これだけは言われたくない!」地雷の言葉にありがとうと言いたくなる(ふりかえりの錬金術)
幸せの源泉は満足感?
私たちは満たされた気持ちになると、幸せを感じますよね。
だから、お腹がすいた時や欲しいものが手に入らない時には、どうも満たされない気がして「足りない足りない」と思いがちです。
しかし、それを満たそうとして、美味しいものを食べてお腹がいっぱいになっても、ずっと欲しかったものが手に入っても、不思議なことに手に入れた満足感はあっという間に失われてしまいます。
それはなぜでしょうか?、一つには私たちが求める満足感の正体である”ドーパミン”の存在目的にあります。
ドーパミンは高揚感を感じさせてくれます。例えば、欲しいと思ったものが手に入ると、ドーパミンという報酬系ホルモンが分泌されて、脳は一時的な高揚感を得ることができます。
しかし刺激がなくなると、お祭りの後の寂しさのような喪失感を感じます。
なぜこんな仕組みがあるのかと言うと、近所のスーパーで好きなときに食べ物が買えるよりもはるかに前の時代、狩りや木の実などの採取で、その日に食べるものを手に入れていた時代には、肉食動物に襲われる危険を知りながらも、生きるために食べ物を探す必要がありました。その勇気を脳の機能として提供するのがドーパミンというわけです。
「手に入るかもしれない」という期待が高まるとドーパミンが出てきて行動を促します。しかし、手に入ってしまえばもう必要ないので、我にかえってしまう。この働きにばかり頼っていると、喪失感のたびに新しいものを求めることになり、苦しい思いをすることになるわけです。
自分が持っていないものを手に入れることによって得られる幸福感には限界があるということです。
それならば、既に得ているはずだけれど、気が付いていないことに目を向けられるようになったらどうでしょうか。
振り返りから生まれる幸福感の正体
振り返りを続けていると、幸せな気持ちになることがよくあります。それはどういうわけなのでしょうか。
僕は毎週土曜日に、1週間を振り返る時間をとっています。
ある週の振り返りで、上司に「自分が正しいと思いすぎている」言われたことを記録しました。
また別の週には「自分の正解を持っていると、即決できて対応が早い」と書きました。
その後コロナによって、「これまでの常識が当たり前でなくなり、過去から正解が導きづらくなった社会で、自分をどう行動すべきか」という問いを持った時、以前に書いておいた2つのことが結びつきました。
正解がわからないこそ、まずは自分が正しいと思うことをやってみる。そして間違っていると思ったら柔軟に考え方を変えるということが大切だと考えることができました。
「正しいと思いすぎる」「正しいと思っていた方が判断が早くなる」一見矛盾する2つが繋がったわけです。
このように1週間だけでは単なる指摘だったことでも、気づきとして記録しておくことで、後から振り返りの記録同士が結びついて、新しい発見につながります。
私の場合はこの発見によって、私は周囲の仲間に「決め付けすぎじゃない?」と言われたときには、落ち込んだり感情的になるのではなく、「自分の正解を持つことと、人の意見を聞くことのバランスが崩れていたんだ」という気持ちを持てるようになり、
言われると傷つくフレーズが、言ってもらえると軌道修正ができるありがたい言葉に変わったのです。
定期的な振り返りを続けているとこういったことがたくさんあります。
いわゆる自分にとっての地雷になるキーワードが自分にとって大切な意味を持つようになっていきます。その分幸せと思える時間が増えていくわけですね。